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ジョージ・クルーニー、2018年の「最も稼いだ俳優ランキング」トップに!2位はロック様




「フォーブス」誌が先日の「世界で最も稼いだ女優ランキング」(1位:スカーレット・ヨハンソン)に続き、「世界で最も稼いだ俳優ランキング」を発表した。俳優たちの2017年6月1日から2018年6月1日までの推定収入(税引き前)を集計し、ランキング化している。


先月発表の「世界で最も稼いだセレブ100人」で2位だったジョージ・クルーニーがトップを飾った。約264億円(2億3900万ドル)という巨額の収入を稼ぎ出したジョージ。2人の共同経営者と創設したテキーラブランド「カーサミーゴス」を昨年売却したことが大きかったという。



2位は『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』などの大作への主演が目立つドウェイン・ジョンソン。インスタグラムで1億人以上のフォロワーを抱え、出演映画の情報を発信している“マーケティング力”により、ギャラも上がっているそうだ。


3位はアイアンマンでお馴染みのロバート・ダウニー・Jr.。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の出演料に加え、『スパイダーマン:ホームカミング』では数分の出演だけで約16億5千万円(1500万ドル)も手にした。


■世界で最も稼いだ俳優トップ5


1位 ジョージ・クルーニー   約264億円
2位 ドウェイン・ジョンソン  約136億円
3位 ロバート・ダウニー・Jr.  約90億円
4位 クリス・へムズワース   約71億円
5位 ジャッキー・チェン    約50億円

マドンナの故アレサ・フランクリンへの追悼メッセージ、「99%自分語り」と大バッシング



 アメリカ現地時間8月20日にニューヨークで開催された、音楽の式典『MTVビデオミュージックアワード(MTV VMA)』。幅広いジャンルのアーティストたちに多大なる影響を与えたソウルの女帝、アレサ・フランクリン(享年76)が16日にすい臓がんで死去したことを受け、ポップスの女帝として名高いマドンナ(60)がアレサへの追悼スピーチを行った。
 魔女のような黒のオーバーサイズドレスに、大量のアクセサリーをジャラジャラとつけた姿でステージに上がったマドンナは、「アレサ・ルイーズ・フランクリンは、私の人生を変えた人です。私は18歳のときにデトロイトから出てきました。ポケットには35ドル。夢はプロのダンサーになること。貧乏で、なかなか芽の出ない日が何年も続き、私はミュージカルのオーディションを受けることにしました。報酬が良いと聞いたからです。歌のトレーニングなんて受けたことはなく、歌手になりたいだなんて夢見たこともなかったけど。でも、やってみようと思ったんです。何度も落ちました。『背が足りない』『目立ってしまう』からって」と、アレサそっちのけで苦しかった自身の下積み時代を回想。
 フランスのディスコ・センセーションが、ワールドツアーのバックアップシンガーとダンサーを応募しているのを知ったマドンナは、半ばやけくそになりながら受けたそう。ダンスのほうは手ごたえがあったが、歌のオーディションがあることはすっかり頭から抜けていたのだとか。「頭をフル回転させたら、ふと、私の大のお気に入りのアルバム、アレサ・フランクリンの『Lady Soul』に収録されている『ナチュラル・ウーマン』の一節が口から出てきたんです」と、アカペラで歌い始めたそう。「フランス人たちは、この曲を選んだ私の歌声をまともに聞こうとはしなかった。そりゃそうよね。やせっぽっちでお尻の小さな白人女子が、この世の中で最高のソウル歌手の歌をアカペラでキメるなんて、誰もが無理だって思うでしょうね」
 案の定、オーディションには受からなかったものの、この曲を歌い上げたことで、名音楽プロデューサー、ジョルジオ・モロダーと仕事をするためパリに呼ばれたことを、さりげなく自慢。「これが私の歌手人生の始まりでした。パリには行ったけれど、でも違うと感じて数カ月で帰国したの。いい人たちばかりだったけど、ミュージシャンとして自分の曲を書きたかったから。操り人形にはなりたくなかった。帰国してギターを習得したかったから、そうした。後は、みなさんご存じの通り」とドヤったのだった。
 アレサの追悼スピーチとは思えない、マドンナの自分語りに、会場のアーティストや観客はしらけ気味。ドヤるマドンナに無表情で拍手を送ったが、彼女はそんな空気も読めないようで、「みなさん、なんでこんな話を? って不思議に思われるかもしれませんが、ちゃんとした理由があります。レディソウル(アレサの愛称)がいなければ、今、私が話したことは起こらなかった、起こり得なかったんです」「彼女が今の私を作ったと言っても過言ではない。彼女は、今夜ここにいる大勢の人たちにも影響を与えたはずです。だから、アレサ、あなたにありがとうと言いたい。みんなを力づけてくれたことに」となんとかアレサにこじつけ、「R・E・S・P・E・C・T、女王陛下万歳」と長々としたスピーチを締めくくった。


 通常、追悼スピーチとは、故人に縁がある人が行うもの。内容も故人との思い出や秘話、故人の活躍や栄光を紹介するものが多い。マドンナは2009年の『VMA』でもマイケル・ジャクソンの追悼スピーチを行っているが、繊細なマイケルの性格や彼と2人きりで極秘デートした話を披露し、知られざるマイケルの姿をファンに伝えたと評価されたのだった。
 しかし、今回のアレサへの追悼スピーチは6分間も費やしたのに99%が自分語りになっており、Twitterはマドンナへの批判ツイートであふれ返った。「アレサをフィーチャリングしたマドンナへのトリビュートじゃん!」「マドンナ物語なんて聞きたくないのに」「マドンナが死んだの? アレサじゃないの?」「最上級のクソだね」と怒りの声が殺到した。
 先日、「最近どの音楽も同じに聞こえる」と現代の音楽シーンに苦言を呈した際にも、「老化現象だろう」とバッシングされたマドンナ。自分語りしてしまうのも、還暦を迎えて、武勇伝や昔話好きになったのだろうと優しく見守るファンもいるが、今回の追悼スピーチに関しては「いただけない」と感じた人が多かったようだ。
 大ひんしゅくを買ったマドンナだが、インスタグラムでは、「MTVからは最優秀ビデオ賞のプレゼンターを頼まれたの。ついでに私のキャリアにアレサがどう関連しているのか、逸話を紹介してほしいと頼まれたわけ。別にトリビュートスピーチをしたわけじゃないのよ」と反論。しかし、『VMA』でマドンナが話している間、ステージの巨大モニターにはアレサの写真が次々と流れるなど、どう見てもアレサを追悼したものであったため、「年寄りは自分の非を認めないよね」と、炎上に油を注ぐ形に。まだまだバッシングは続いており、今後、マドンナがどのようなアクションを取るのかに注目が集まっている。

追悼:アレサ・フランクリン 1942 – 2018




ソウルの女王、「ヴォイス・オブ・ブラック・アメリカ」、レディ・ソウル、今を生きる人々にとって最も偉大なシンガーの筆頭――現地時間8月16日に76歳でこの世を去ったアレサ・フランクリンは、時代を定義した数少ないアーティストの1人としてのみならず、時代を超越して社会に変化をもたらした重要人物の1人として音楽の歴史に名を刻むことになるだろう。
“Respect”や“(You Make Me Feel Like) A Natural Woman”、“Think”、“Spanish Harlem”といった楽曲での輝かしく力強いパフォーマンスは、60年代末から70年代の初頭にかけての情熱的なソウル・ミュージックのスタンダードになったことに止まらず、アレサ・フランクリンはそれによってフェミニズム運動や公民権運動のアイコン的な存在となった。敬意や理解を希求する彼女の熱を帯びた歌声は、平等を求めるカウンター・カルチャーの潮流と調和し、100のシングルを全米シングル・チャートに送り込んで、史上最も楽曲をチャートにランクインさせた女性となった彼女は、希望と熱望のシンボルとなった。
「アレサが歌うと、アメリカの歴史が浮かび上がってくるのです」とバラク・オバマ前アメリカ大統領は2015年に語っている。「困難や悲しみを、美しさや活力、希望の詰まったものに変化させた彼女以上に、アフリカン・アメリカンの精神と、ブルースやR&B、ロックンロールの繋がりを体現できる人はいません」
アレサ・ルイーズ・フランクリンは、1942年3月25日にテネシー州メンフィスで神父の父親とピアニストでシンガーの母親との間に生まれている。アレサ・フランクリンは耳でピアノを学び、10歳を迎える頃には教会で1人で歌声を披露するまでになっているが、その間には多くの転居や両親の離婚、そして母親との死別を経験している。「100万ドルの歌声を持つ男」と自称する彼女の父親は、教会での説教で数十万ドルを稼ぎ、サム・クックやジャッキー・ウィルソン、マーティン・ルーサー・キングからの訪問を受けるほどの人物だった。アレサ・フランクリンが14歳になると、父親が彼女のマネージャーを務めるようになるのが、彼女はこの時すでに、父親にちなんでクラレンスと名付けた息子の母親となっていた。父親の援助もあって、彼女はJVBレコードと契約を結ぶこととなり、1956年にはデビュー・アルバムとなる『ソングス・オブ・フェイス』をリリースしている。サム・クックに傾倒していた彼女は、非宗教的なポップ・ミュージックのアルバムを作りたいと思うようになり、後のモータウンとなるタムラやRCAを初めとした数多のレーベルによる争奪戦の末に、当時18歳だった彼女は1960年にコロムビア・レコードと契約を結んでいる。




コロンビアに移籍したアレサ・フランクリンは全米チャートにも進出するようになり、1961年に“Rock-A-Bye Your Baby With A Dixie Melody”のカヴァーで初めて全米シングル・チャートのトップ40入りを果たしたのを皮切りに、R&Bのチャートにも数々のヒット曲を送り込むことになるが、キャリアのピークが始まるのは、1966年にアトランティック・レコードに移籍してからのことだった。アレサ・フランクリンは、1967年の前半だけで最初の大ヒット曲となった“I Never Loved A Man (The Way That I Love You)”と“Respect”の2曲を世に送り出しているのだが、後者は彼女に初の全米シングル・チャートの1位をもたらし、フェミニズムや公民権運動のアンセムとなった。『貴方だけを愛して』や『レディ・ソウル』、『アレサ・ナウ』といったアトランティック・レコーズ時代の初期のアルバム群からは、“Think”や“(You Make Me Feel Like) A Natural Woman”、“Chain Of Fools”などの伝説なヒット曲も生まれているが、それらはすべてプロデューサーのジェリー・ウェックスラーとの魔法のような共同作業によって誕生している。世間に衝撃を与えたアレサ・フランクリンは『タイム』誌の表紙を飾るまでになり、マーティン・ルーサー・キングの葬儀で歌を捧げるという名誉にもあずかっている。
アレサ・フランクリンの成功は1970年代に入っても続くことになり、1972年にリリースしたゴスペル・アルバム『アメージング・グレイス』は200万枚を売り上げ、サンフランシスコの伝説的なライヴ会場であるフィルモア・ウェストでヘッドライン公演を行った最初のR&Bアーティストにもなっている。その後にアトランタ・レコードからリリースしたアルバムのセールスは乏しくなかったが、1980年にアリスタ・レコードに移籍してからは“Who’s Zoomin’ Who?”や“Freeway Of Love”などのポップな曲がヒットし、ユーリズミックスとの“Sisters Are Doin’ It For Themselves”やジョージ・マイケルとの“I Knew You Were Waiting For Me”といったコラボレーションの成功もあり、見事にキャリアを復活させることに成功している。アレサ・フランクリンは20年以上にわたって在籍したアリスタ・レコードでソウル・ミュージックの大御所としての評価を確立した後、2004年にレーベルを離れて以降も、2006年にはスーパーボウルで国歌斉唱を行っているほか、オバマ大統領の就任式でもパフォーマンスを行い、2015年に行われたケネディ・センター名誉賞の授賞式ではキャロル・キングらを称えるパフォーマンスを行っている。


アレサ・フランクリンのプライヴェートな人生もまた、彼女のキャリアと同じくらいの波乱に満ちている。彼女は19歳の時にセオドア・ホワイトと最初の結婚をしているが、家庭内暴力のために1969年に離婚している。1987年には俳優のグリン・ターマンと2度目の結婚をして6年間の婚姻生活を送った後、婚約までしていた長年のパートナーのウィリー・ウィルカーソンとは2012年に婚約を解消している。アレサ・フランクリンはアルコールやタバコの依存にも悩まされており、2010年には病名の明かされていない手術のために公演をキャンセルしている。健康問題を理由にした公演のキャンセルはこの10年の間に続いており、2017年にはデトロイト公演の観客に「私のことを祈っていて」と語りかけていた。アレサ・フランクリンは、4人の息子と、史上最も影響や衝撃を与えたとも言える、心を打つソウル・ミュージックの聖典を残してこの世を去ることになった。



Aretha Franklin (You Make Me Feel Like) A Natural Woman - Kennedy Center Honors 2015

マドンナ、60歳の誕生日に新曲のパフォーマンス映像を公開!


8月16日はマドンナの60回目の誕生日。そんな記念すべき日に、1本の動画が公開された。
 実はマドンナには「ビューティフル・ゲーム」という新曲があったけれど、これまでお披露目したのは、毎年メトロポリタン美術館で行われるファッションの祭典、メット・ガラでの1回きり。しかも内部が明かされていないメット・ガラでのパフォーマンスだったため、ファンは見ることができなかった。



ところが今回、マドンナが60歳を祝ってくれたファンへの御礼として新曲のパフォーマンス映像を公開。マドンナは自身のインスタグラムに「私の誕生日を祝って、私の誕生日に募金してくれた人に感謝して(※)。今年のメット・ガラで行ったとてもスペシャルなパフォーマンスをシェアしたいと思うわ。私のYouTubeページでチェックして、パフォーマンスを楽しんで!」とコメントし、かなり貴重な動画を投稿した。


 ※マドンナは自身が立ち上げた「レイジンング・マウライ」という基金で、60歳の誕生日プレゼントの変わりにファンからの募金を求めていた。



 その動画には新曲である「ビューティフル・ゲーム」のパフォーマンスはもちろん、レナード・コーエンの名曲「ハレルヤ」をカバーするマドンナの姿が映し出されている。
 最近では公の場でパフォーマンスする場はぐっと減ってしまったが、さすがクイーン・オブ・ポップ。ブランクを感じさせない圧巻のパフォーマンスを披露。
 60歳になっても第一線で活躍し続けるマドンナは、ファンに粋な方法でお返しをした。



Madonna - MET Gala 2018

ブラッド・ピット、A・ジョリーを批判「メディアを操ろうとしている」








 俳優のブラッド・ピットが離婚係争中の女優アンジェリーナ・ジョリーに、十分な養育費を支払っていないと主張されたことに反論。アンジェリーナには既に900万ドル(約9億9730万円)以上を渡しており、アンジェリーナ側の動きは「メディアを操ろうとしている」ものだと批判している。PeopleやUs Weeklyなどの海外メディアが報じた。 ブラッド側は養育費に関するアンジェリーナ側の申し立てを「不必要。重要な情報を除外して、メディアの報道を操ろうとしているのが見え透いている」としている。


 ブラッドは「十分な養育費を払っていないという主張に断固反論する。(アンジェリーナに)現在の住居を購入する支援として800万ドル(約8億8640万円)を融資し、(アンジェリーナと)未成年の子供たちのために130万ドル(約1億4400万円)以上を支払っている」とのことだ。


 情報筋の話では、アンジェリーナは最近、裁判所に申請するまで、ブラッドに対して一切養育費の支払いを要求していなかったという。


 JustJaredによると、ブラッド側の言い分に対して、アンジェリーナ側は昨日の申し立てが「法的にも正当で全面的に事実」と反論。「ブラッド側は事実を曖昧にし、養育費に関する義務を果たしていないという事実を曲げようとしている」と主張し、両者が歩み寄る姿勢は見られないとのことだ。


 今年の9月で破局から2年が経つことになるが、ブラッドとアンジェリーナが正式に離婚するまで、今後もしばらくは波乱含みの展開になりそうだ。